『降っても晴れてもコベントリー』。旅行中、私の頭の中にはずっとこのフレーズがあった。旅行の支度をしている時に、どこかの英文サイトをwebページ翻訳で訳したところ、画面の隅にこの言葉が表示された。英文はなんだろ?『rain or shine』だと思うけど調べ直さなかった。でもこの日本語の『降っても晴れてもコベントリー』の響きが気に入った。
8月12日@日本
08:45 | 静岡発のひかりに乗って東京駅へ |
10:03 | 成田エクスプレスに乗り換え、成田へ |
11:15 | 今回旅を共にする2人と合流。何度か会っているたつにぃと、今回が初対面のしおちゃん。 |
しおちゃんとは、PHISHではないトレードで、つい最近知り合った。
彼は、生PHISH未体験で、海外旅行経験がなくて、運転免許も持っていないのに、コベントリーのチケットは購入していた。とりあえず、何から手をつけていいやらという感じで私にメールが届いた。
こちらはそのときすでに飛行機とレンタカーを手配済、しかも今のところ3人の予定だったので、「エアチケットの日程さえ会えば一緒に行こう」と誘った。
結局、エアは行きが私達よりも2時間後発、バーリントン着が私達の6時間後で手配できた。
たつにぃとは、PHISHジャパンツアーのトレードで知り合ったのが最初だったと思う。以来ずっと、メールをやりとりしたり、ライブで会ったりする良き友だちだ。
しおちゃんと、コベントリーで初めて会うというのもちょっとなぁということで、しおちゃんにも私達の出発便に合わせて空港にきてもらった。
4人で軽く昼食を食べて少しのんびりしたら、もうけっこういい時間。しおちゃんに「チェックインとトランジットがんばれ。バーリントンで会おう」と言い残して私達はチェックイン。
14:10 | 成田離陸。 |
機内では、『ギャラクシークエスト』と『ジャージーガール』を見た。前者は公開中に見逃していたのでラッキーだった。超くだらないコメディ−映画。こういうの大好き。ジャージーガールは家族愛もの。日本じゃ映画館公開はしなかったのではないか?まあ普通におもしろかった。
11時間程のフライトの後、トランジット場所のシカゴに到着。
入国審査はけっこうな列になっていた。その列で、私達の前に並んでいた日本人の魚釣り団体に話し掛けられる。「どこからですか?」「静岡です」「まゆさん?」「そうです」「どーも、かごたです」とかごたさん。以前にトレードでお世話になったかごたさんだった。会って話すのは初めて。こうして声を掛けていただいてうれしい限り。こんな顔でもネットで公表している甲斐があるってもんです。
簡単なあいさつの後は、お互いの今後のスケジュールなど話す。かごたさんグループは今晩のホテルを手配済なのだけど、キャンセルして出発しようか迷っていた。疲れているし、一晩寝るのもいいかもしれない。どうやら帰りの飛行機も同じ便のようだった。
シカゴのトランジットは1時間程しかなくて、かなりギリギリの手続きだった。ターミナル移動もモノレールみたいなものに乗ったりして本当に遠かった。なんとか間に合ったけれど、シカゴのオヘア空港は広かった〜。
8月12日@Vermont
16:15 | 16時31分の到着予定が、少し早く着いた (と思うが記憶があいまい。同じエアだった方、違ってたら教えてください)。 |
とりあえず左に入るとTシャツが売っていたので買ってみた。店の人に「PHISHに行くの?」と聞かれたので「そうだよ」と言うと、「終わったら友だちも誘ってまた来てくれ」というような事を言われて、店の案内をもらった。
お客さんは、大量のチーズで物体がみえなくなっている何かを食べていた。「何か」はわからないけれど、とにかくこってり濃そうなもの。
近くにスーパーを発見したので、水、トイレットペーパー、パン、チーズ、ハムを購入。
20:00 | 再びバーリントン空港へ。静岡の友だちKがこの時間の便で来るというのでとりあえず出迎え。 すでに5日からアメリカに入っているHとDがKを迎えに来ることになっていたが、実は、この2人がちゃんと迎えに来るかも心配だった。 |
それから腹ごしらえ。空港で食べるつもりがレストランはすでにクローズ。さっき通った道でバーガーキングを見かけたのでそこへ向かう。バーガーキング大好きな旦那は「さっそくバーキンだ」と喜んでいる。とりあえず、3人で地図を確認。ハーツでもらったものはハイウェイを行くコース。私がyahooで出力してきた地図は、下道の100号を行くコース。
さっき空港で会った人に、今の時点で9時間くらい渋滞らしいと聞いていたので、きっとハイウェイを降りた付近からだろうなあと話す。でも9時間なら、明日の朝には会場入りだ。地図もわかりやすいし、ハーツで教えてもらったハイウェイのコースで向かうことに決定。
再び空港へ戻り、22:46着予定のしおちゃんを待つ。
ここでMINAWAさんあゆみちゃんと再開。彼らも同行の友だちを待っていた。
しおちゃんの便は予定より早く到着した。昼間の便よりも沢山の日本人が乗っていた。もちろんみんな目指すはPHISH。Sakebongさんともここで初対面。キモックM/Lではお話をしていたのだけど会えてよかった。
日本人の何人かと話しをすると、今夜はホテルに泊まる人、私達のように夜走る人にわかれていた。どちらにしても「会場で!」を合い言葉にここで別れた。
23:00 | 出発 |
05:30 | 突然、前の車のテールランプが点灯した。いよいよ動くんだ!私もすぐにエンジンをかける。車両2台分ほど前に進む。それからまたずっと停止したまま。「どうなってんの?!」。ふとルームミラーに目をやると、私から後ろの車が一斉にウィンカーを出して、左レーンになだれ込んでいる。しびれをきらしていたのは私だけではなかった。でも、やっぱり先の様子がわからないだけに、この列を離れる決断はできなかった。 すぐにまた、私の後ろも元通りの渋滞に戻った。 |
その後、すこおしずつは進んだのだったかな?もう記憶が曖昧。エンジンをかけたり止めたりを繰り返した記憶はある。恐らく数メートルは進んだのだと思う。
みんな空腹で起き出す。サンドイッチを作って食べる。うまい。チーズもハムもいい味。しかし、ひとり2つずつですでにパンが終了。チーズとハムが余ってしまった。水も飲もうと取り出して蓋をあけるとなんだか柑橘系の香り。うわっ、これ水じゃなくてライムウォーターじゃん。それを選んだのは私。しかも御丁寧にひとり2本ずつある。「ごめん」。なんでライム味なんてつけるのよ。普通の水が飲みたいのに〜。コーヒーを入れたりする前に気付いてよかったけど。
10:00 | 「夕方には着くといいね・・・」だんだんと言葉に力がなくなる。かなり強い眠気が襲う。ここで旦那と運転を交代。私はしばらく爆睡。 旦那の話によると、その後パトカーがやってきて、右の側道に寄るように指示されたそうだ。しかし、右に寄ったら、さっきまでいた本線の右レーンもすぐに一杯になり、出口への渋滞はいつの間にか2列になってしまった。 |
14:00 | とっくに車のエンジンは切ってあった。車から降りて椅子を出し、ビールを飲みながら談笑している姿があちこちに見える。バーベキューをしている人たちまでいる。他もスケボーやチャリで遊んでいる。 こんな状況、日本じゃ考えられないな。いくら渋滞していてもたぶんエンジンを切ることはないし、ましてやハイウェイで車の外に出てくつろいでいるなんて!もう半日以上こんな状況だから、なんとなく慣れてきたにしても、私にはこの血は流れていないなぁと思った。 |
夕方から強い雨がずっと続いている。前の様子は全く見えない状態が続いた。時折、空気を入れ替えるために窓を開けたけれど、たくさん車内に吹き込んでくるのであまり長くは窓を開けていられなかった。
8月14日@Vermont
結局、昨日の晩からほとんど進展もなく夜になった。相変わらず、どの車も死んだように息をひそめてその場にじっとしていた。
車内でもさすがに疲労と空腹でみんなしゃべらない。でもやっばり「お腹すいた・・」。すると自分からはめったにしゃべらないしおちゃん、「昼間これ買ってきたんですけど・・・」と差し出したのはチェリーパイ。しおちゃんも明るいときに売店まで行っていたのだ。気がきくじゃないの。けっこうずっしり重くて腹持ちもよかった。
夜中に、隣のレーンの渋滞の列から私達のすぐ横の車が移動した。これで私達の車は左に脱出できる。とりあえず、ひとつ左へ移動する。他の車は寝ているのか全く動かない。ここで相談。「どうしよう、左レーンに出て渋滞抜けてみる?でもねぇ、先はわからないしねぇ」「行ってみる?」「でもな〜」そんな感じで4人ともどうしても決定できない。結局、前で渋滞している人たちも運命共同体なのだし、明日の朝考えようということになった。最悪、歩けば5.6時間だ。明日の朝の決断でもショウには間に合う。1つ先の27番出口まで行って、どこかに駐車させてもらってもいいし。もしもそれでさらにひどい渋滞にはまったら、14日のショウはあきらめよう。最終日だけでも見られればいいよということで皆納得。寝る。
04:00 | 目覚めて起きるが相変わらず前方の車はみんな死んでいる。 |
私達はすることもないので車でラジオを聞いていた。
しばらくすると外にいる人たちの様子がどうもおかしい。女の子が「fuck!!!!」と絶叫している。何事?!すると、ずっと一緒だったスペイン人の彼が私達の車にやってきた。旦那が窓をあけると、「よく聞け。これは本当の話し。会場の駐車場にもう車が入れなくなった。チケットは払い戻すと今マイクがラジオで言ったんだ」と冗談を言っていた顔とは別人のシリアスな顔で言った。私達もちゃんとオフィシャルの92.1FMをかけていたのに誰もその発言には気付かなかった。
「どうしよう」。私は車を降りて、今教えてくれた彼にどうするのか聞いてみた。彼は「わからない。たぶん車を置いて行く人が多いだろう。でも、ポリスの判断もわからないし、僕はどうしていいのかわからない」と言った。別のアメリカ人にもどうするのかと尋ねたら、彼は一言「no idea」と言った。
私達は昨日話し合ったとおり、すでに歩く覚悟はできていた。
すぐに車を左レーンに移して前に進む。遠かった25番出口は車ではあっという間だった。私達同様前進する車もあれば、即座にUターンをしている車もいた。
本来降りる予定だった26番出口は恐らく混んでいるだろう。私達の前方も列ができはじめている。25番を過ぎると、すでに側道に停車して歩く準備をしている車が連なっていた。私が助手席から「歩くの?」と聞くと笑顔で「そうだよ。早く車をとめたほうがいいよ」と言われた。
私はハイウェイに車を置いて行くことにとても抵抗があったのだけど、無数に並んだそこの列を見ているうちに安心した。よしっ、この際この辺に乗り捨てるしかない。
しかし、側道はどんどん停車する車で埋まっていく。そのとき、ちょうどすぐ前の側道にいた車が本線に車を出したのだ。あそこしかない。運転しているたつにぃに「あの場所、ほらっ」と言って急かす。狭いスペースながらも、たつにぃがきっちり駐車してくれた。私が運転席にいなくてよかった。
早速車に置いていくものと持っていくものをわける。といっても私のバックはカートになっていたので、ほとんどそのまま持って行くことにした。旦那はショルダーのスポーツバック。かなり減らしたものの、テントが入っているので重量はそうとうなもの。しおちゃんもカート付の旅行バック。たつにぃはスポーツバックから必要な荷物だけをリュックに詰め替えた。
空港を出発してから35時間。やっと車から離れることができた。
10:00 | いざ出発。 |
5号も車が長い列をなしている。これじゃ、ハイウェイと合流なんてできるわけないわ。
ちょうど5号を歩き始めた人たちが、ハイウェイから降りて来た私達の流れを見て盛り上がる。みんななんとなく変な団結感ができていた。
5号で渋滞にはまった車はかえって中途半端で悲惨だった。前にも進まないが乗り捨てもできない。停止したままの車から、横を歩いて通り過ぎて行く人たちをただ見ているしかない。どの道を選んでも、それぞれにいろいろ違った苦労をしているのだと思った。
5号に入って少し歩いたところで、日本人の女の子を追い越したので「こんにちは」と声をかけた。彼女は笑顔でかえしてくれたけれど、とても辛そうだった。聞いてみると、昨日の晩バ−リントン空港に到着し、そのまま車を飛ばしてきたものの渋滞にはまり、朝のラジオを聞いて5号に車を捨てて来たそうだ。ほんんど寝ていないだろうし、それはしんどいだろう。同じグループの男の子も「もう泣きそうっすよ」と言っていた。彼らもめげずに無事に着いていてほしい。
途中で旦那が来ないので待っていたら、渋滞にはまっている日本人を見かけて話をしてきたということだった。やっぱり今回は日本人が多い。彼らも会場まで着いたのかな。
旦那はかなりへばってきていた。「荷物交換するよ」と言っても「いや、いい」と言い続けた。所詮私が持ったところで、たいして進めないだろうけれど。旦那曰く「帰りのために元気な奴を残しておかないと」ということだ。一応やさしさだと受け止めておくことにした。
途中の売店でノドを潤す。よく冷えたジュースが体に染み渡っていく。この売店の若いお姉ちゃんが「CD持って行く?」とすぐ横にあった小さな段ボールを指さした。その箱にはマジックで"free CD"とある。何の音かよく見なかったけれど、せっかくフリーだし「Thank you!」と言ってもらってきた。
それは"YONDER MOUNTAIN STRING BAND"の09/21/03だった。どうも9月に発売されるCDの宣伝用のようだ。←シャレじゃないですよ。
こういうことも歩けばこその出来事でうれしかった。
途中の売店ではちょっと変なTシャツも売っていたのでそれも買った。会場ではこのTシャツを売っているのはみかけなかったな。
ここから先は砂埃の舞う、農道に入った。そして繰り返すアップダウン。長〜い上り坂をやっとの思いで超えると、また正面に同じくらいの上り坂が見える。延々これの繰り返し。一山ごとに「この山を超えたらそろそろかな」と考えるが、うらぎられ続けた。
歩いている途中で、「こんにちは」と話し掛けられた。見るとアメリカ人。つい先日まで四国に2年ほど住んでいたということで、とても自然な日本語だった。もう15回もPHISHのショウを見ているそうだ。彼といろいろと話をしながら歩いた。
私達の歩いている横を、人を乗せたトラックが何度か通り過ぎる。地元の人がピックアップしてくれているようだ。狭い荷台に10人以上がぎゅうぎゅうになって乗っているのだけど、もうとにかくそれに乗りたかった。
タイミングよく、私達もトラックを拾うことができた。料金は1人$5。あとどのくらいの距離かわからないけど、安いもんだ。四国に住んでいた彼も一緒に乗った。
10分ほどで降ろされたが、その道中を車上から眺めていて、車を拾ったことが正解だったとわかった。この道のりが$5なんて本当に安かった。車でふたやまは超えたと思う。
左側にはテントサイトが広がり、柵の向こうからこちらの列に手を振っている。いいなぁ。彼らはもう会場の中にいる。柵の向こうとこちらでは天国と地獄だね。というものの、地獄というほどひどくはないけれど。だって今現実にここにいるのだから。もうしばらくすれば私も柵の向こう側なんだ。
それにしても列が動かない。あっという間に15時になっていた。途中に、段ボールが積まれていて、中に何か書類のようなものが入っている。
その場所まで遠かったのだけど、なんとか人込みをかき分けて手にする。中を見る間がないので、とりあえず片手につかめるだけ持ってきた。
みんなのところに戻って広げるとサイトマップだった。これでやっと自分達の居場所がわかった。わざわざ取りにいった甲斐があった。地図によるとゲートは間もなくだった。
四国に住んでいた彼と結局ここまで一緒だった。彼に私のチケットがWillCallなんだと話しをしたら、「あのWillCallの看板の出ている窓口にいけば大丈夫」と教えてくれた。このまま真横につっきればすぐなのに。
ゲート付近で係の女性が拡声器で怒鳴っている。どうやら、「徒歩用のレーンをはみでないように」と指示しているようだった。しかし、そのレーンがものすごく狭い。この人の渋滞はそのせいだとわかった。歩いている人はみんなブーイングを始めた。こんなことをしていたらショウに間に合わないかもしれない。みんな同じ心境だ。
私はどうせ先にWilLcall窓口に行かなくてはいけないので、人込みの右手を大回りして前に進んだ。折り返し地点まで着くと急に人の流れがよくなった。結局運営側は車の入場レーンを一旦止めて、人のためにすべてのゲートをオープンした。これで一気に人の流れはよくなった。
WillCallは10人ちょっと並んでいた。初めてで緊張していたものの、オーダーをプリントアウトしたものと、パスポート、クレジットカードを渡したらすぐにチケットを渡された。